超高齢社会を迎え、在宅で療養する高齢者はさらに増えることが見込まれる。介護施設や自宅での口腔ケアは、誤嚥性肺炎の予防や、食べたり話したりする機能の維持に重要だが、不適切なケアはかえってリスクを高める。専門家を含む多職種の連携が鍵を握っている。
施設で実践、肺炎の入院半減
「入れ歯を取りますね」。洗面所の鏡に向かうお年寄りの耳の近くで、職員が声をかけた。福岡市西区の特別養護老人ホーム「マナハウス」。職員が訪問歯科医から受けている口腔ケアの実習指導の一場面だ。入れ歯を丁寧に洗い、よく絞ったスポンジで舌の汚れを取り、続いて歯磨き。さらに舌のリハビリ、頬のマッサージと、手順通りに進める。約10分で一連のケアを終えた。
福岡市内では、マナハウスを含む7カ所の介護施設が、福岡歯科大の滝内博也助教(高齢者歯科)が進める「誤嚥性肺炎ゼロプロジェクト」に参加している。介護施設では普段から入所者の口腔ケアが求められ、介護報酬上も歯科医や歯科衛生士の訪問が認められている。だが、職員に注意点をまとめた書面が渡されているだけのケースも多く、施設側には専門家とのをより深めたいというニーズがあった。滝内助教が大切だと考えているのは、(1)介護職員の負担が過度にならない(2)全職員が同じ水準で実践できるの2点。ケアは週2回と決め、使う器具も全員同じものにした。研修を重ね、昨年8月から始めると、効果がはっきり表れた。今年2月までの7カ月間に肺炎で入院したのは定員69人に対し4人(延べ日数116日)で、前年度同期(9人、261日)と比べて人数、入院日数とも半分以下になった。同時期にケアを始めた5施設で肺炎以外も含めた全体の入院日数を比較しても、前年度より2割以上減った。
入院の減少は、入所者の生活の質の向上だけでなく、施設運営の安定や患者の医療費負担の軽減にも役立つ。小金丸誠施設長は「食事量が増えることで低栄養が改善し、肺炎以外の病気の減少にもつながれば」と意気込む。マナハウスでは、口腔ケアのリーダーとなる職員を養成し、入所者の口の健康状態が改善したかを点数で評価できる「アセスメントシート」も導入している。滝内助教は「ケアの技術を一定に保つために、歯科医や歯科衛生士の継続的な指導などが欠かせない」と指摘する。
訪問診療拡大が急務
自宅で暮らす高齢者にとっても歯科の訪問診療は重要だ。2002〜04の厚生労働省研究班の調査では、要介護者の約9割が歯科治療や専門的な口腔ケアが必要とされているのに、実際に歯科を受診した要介護者は3割に満たないとのデータもある。東京都大田区は、高齢者宅への訪問相談事業の中に歯科を組み入れている。在宅療養中の高齢者に歯科健診し、口腔ケアが必要なケースがあれば、地区の歯科医師会と連携して訪問診療などにつなげる。「ぐらつく歯は汚れがたまりやすいので、怖がらずにブラシを当ててください」。区内の開業歯科医の中村好(よしみ)さんは3月上旬、訪問先で女性(81)に促した。身近なかかりつけ医がいなかった女性は、区の事業で13年11月から中村さんの訪問診療を受け始めた。ぐらついていた歯は歯科用ボンドで留めて入れ歯も新調。歯科衛生士のケアも受け、歯はこれ以上抜けずに済んでいる。
ただ、厚労省によると、自宅へ訪問診療をする歯科診療所は、増えているとはいえ、まだ全体の1割強にとどまる。中村さんは「腰を痛めて訪問をやめざるを得ない歯科医もいる。患者や家族も介護などで余裕を失い、口のケアが二の次になってしまう場合がある」と指摘する。4月の診療・介護報酬改定で、通院できなくなった患者にかかりつけ歯科医が訪問診療を始めた場合の加算が新たに認められたり、ケアマネジヤーからかかりつけ歯科医への情報提供が義務付けられたりした。在宅高齢者の口腔ケアを促すこうした動きを、中村さんも歓迎している。
歯、歯ぐき、舌 清潔に保って
誤嚥性肺炎の予防で、口腔ケアの重要性にいち早く着目した静岡県長泉町の歯科医師、米山武義*さん(63)に、アドバイスをしてもらった。要介護高齢者への口腔ケアが徹底していたスウェーデンで学び、帰国して1980年代に特別養護老人ホームで実践すると、誤嚥性肺炎になる高齢者が2年間で4割減った。口の中の細菌が肺に入り込んでしまうことは分かっていたが、口腔ケアをすれば肺炎の発症リスクが下がることを科学的に証明できた。
誤嚥性肺炎は主に、(1)胃の内容物が逆流する(2)せきをしたり、むせたりする際に食べ物が気管に入る(3)知らないうちに気管に飲食物や唾液が入る。ことが原因で起きる。予防の基本は、歯や歯ぐき、舌を清潔にし、口の中の細菌をコントロールすること。食べ物を食道に送り込む「嚥下反射」、気管に入っても異物をはき出そうとする「咳(がい)反射」という力を鍛えておくことも重要だ。長期的に口腔内の管理をすれば、100%とまでいかなくても、在宅でも施設でも肺炎は防げる。歯科医、歯科衛生士に限らず、家族や医師も予防の意識を持つことが大切だ。高齢の口腔ケアの最終目標は「自分の口で食べる」。それは生きる意欲にもつながるからだ。
*注:本学68回卒
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